仮題 令和三年 須賀神社の祭り「コロナ渦の車渡御」
日本人の生活は稲作りをもとに営まれ、四季折々に色々のお祭りを通して豊作への祈りと感謝が捧げられてきました。
現在も私たちの家庭でも、時の移り変わりと共に、様々な年中行事を行いますがその心は今も変わりはありません。
そうしたお祭りを行う中で、お互いにふれ合い、地域の和を保ち、又、文化を育んできたもので、皆参加する本人のみならず、家族全員の 健康と安全を祈りながら、又、楽しみ、そして感謝する心の豊かさも与えてくれるものです。
時代の移り変わりを見ながらも、忘れてはならないものと考えます。いつの世にも人の心の中に、生き続けてい るからこそ、何百、何千年と、そこに神社が現存しているのでしょう。
「夏祭り」と「須佐之男命」
夏は疫病、害虫、風水害など起こりやすい季節であり、悪霊、疫病を祓い鎮め、災害を除くために行われます。 当、須賀神社は、京都八坂神社の御分社で、祭神は素佐之男命(牛頭 天王)と櫛名田姫命の二柱。祭礼は祇園祭と同様に七月十五日から 二十三日の八日間行われていました。近年は、これに近い日曜日から 次の日曜日までとなりました。
素佐之男命が出雲の国に降臨してからの神話は、疫病除け、八岐大蛇退治、植林、国土経営などと、人々に福祉を授ける神として仰がれ、 その真価を余すことなく発揮しました。 この新型コロナ渦、和泉の地に暮らす町内会、自治会の皆様に、災いが 及ばぬよう願い、祓い清めたいと、今年の祭事は安全を配慮しながら、この状況だからこそと、車渡御を行うものであります。 何卒、ご理解、ご協力をお願い申し上げます。
「日本の神話」「備後国風土記」
高天原で暴れ回って、天岩戸事件を起こして、八百萬神の会議にかけられ高天原 を追放され、出雲の国に降臨した素佐之男命は、旅暮れて、一夜の宿を頼んだ、
貧しく暮らしていた蘇民将来だがその旅人を粟の茎で編んだ筵(むしろ)と栗飯を炊いて、快く勧めてくれた。翌朝「われは素佐之男命なり」と名乗り「茅の輪」を作り、「疫病が流行った際にはこれを腰の上に付けよ」と伝え旅だった。
翌年疫病が大流行し、多くの人々が苦しみ、亡くなった。伝えを守り茅の輪を付け暮らしていた 蘇民将来とその家族は、難を免れることが出来たと言う。 それ以来、疫病が流行る時期になると「我も蘇民将来の子孫」だと言い、「茅の輪」を用いて、災い除けの行事が始まったと伝えられる。
*昨今では、関東の玄関飾りと同じよう小正月、又一年間、 蘇民将来と書いた札を付けた玄関飾りが一般にひろまっている。
令和三年七月十八日 神輿会総代 山村 庄次郎