須賀神社の歴史(執筆中)
■須賀神社は鎌倉時代に北条家を滅ぼすべく立ち上がった信濃の国の住人、和泉小次郎親平の部下、青栗七朗の弟、阿精房安念奉仕が、小次郎の同士を全国から集める途中に、京都の祇園社、現在の八坂神社の御分霊をこの地に持ち帰り、小次郎の館の守り神様として御奉りしたのが始まりと言われています。
祀神は牛頭天王で、日本名は素戔嗚尊(スサノウノミコト)であり、昔から和泉の天王様と、一般の通り名で有名です。
伊勢山皇大神宮 京都八坂神社より分霊されました。(現在確認中)
■近代歴史
昭和25年 1950年 神輿の新調(2024年現在まで使用)
昭和44年 1969年 交通事情の変化、担ぐ若人の減少によりこの年を最後に、担いでの神輿渡御の中止
昭和59年 1984年 6月16日 神輿保存会(2024年現在は解散)の発足
昭和59年 1984年 15年ぶりに2町会のみだが担ぎ渡御を復活(他 7町会は車渡御のまま)
昭和63年 1988年 これまで三つ巴の紋としていた神紋を、スサノオノミコトの神紋である、”祇園祇園守り崩し紋”とした
■現在のお神輿
厚木あたりで造られたお神輿が須賀神社に奉納されました。
下記写真は1950年、昭和25年7月15日に神輿奉納時の写真で、境内で南向きに撮られたものです。
宮司は中田御霊神社の宮本氏
■神紋について
もととなるのは京都八坂神社〈祇園社〉の神紋です。
八坂神社は牛頭天王(スサノオノミコト)を祀りますが、そのシンボルの神紋は何を示すか、は不明です。
しかし、中央の交差したものは、二本の巻物らしいですが、周りのものは牛頭天皇を表す牛の角とか、高天が立ち込める雲とか、
飾り物の勾玉ではないかと所説粉々です。
当、須賀神社は京都八坂神社の分社であり牛頭天王(スサノオノミコト)を祀り、また、各地で天王祭りを行うところ、ならびに天王社〈様〉と呼ばれているものは、
この流れを汲み、御本社の神紋そのままではおそれおおく、どこも”祇園守り崩し紋”としています。